はじめに:世界が愛する「MATCHA」と、日本人の静かな距離感
いま、世界のカフェやSNSをのぞくと、「MATCHA(抹茶)」という言葉をよく見かけます。
アメリカやヨーロッパではスーパーフードとして注目され、
韓国や台湾では「抹茶ラテ」や「抹茶スイーツ」が若者文化の象徴になっています。
一方で、日本ではどうでしょうか。
コンビニにも抹茶味のスイーツが並び、カフェでも抹茶ラテが定番になりましたが、
“点てた抹茶”を日常的に飲む人は、あまり多くありません。
つまり、日本人は抹茶を「飲まないのに好き」なのかもしれません。
その背景には、800年以上にわたって続く日本人の「静けさ」への憧れがあるように思います。
そしてその感覚は、時代を超えて、形を変えながら今も私たちの中に生き続けているのではないでしょうか。
第1章 日本人と抹茶の出会い(鎌倉〜室町時代/12〜15世紀)
禅とともに伝わった“静の文化”――栄西から千利休へ
日本人と抹茶の関係は、鎌倉時代(12世紀末〜13世紀)に始まったとされています。
臨済宗の僧・栄西(えいさい, 1141–1215)が中国・宋から茶の種と「点茶法(てんちゃほう)」を持ち帰り、
それがのちの「抹茶を点てて飲む文化」の原型となりました。
当時の抹茶は、嗜好品というよりも「薬」や「修行の一環として飲まれていたようです。
栄西は『喫茶養生記』(建仁2年〈1202〉)で、「茶は養生の仙薬なり、延命の妙術なり」と記しています。つまり、茶は心身を整えるためのものであり、精神を清める行為でもあったのです。
この思想は、やがて禅と武士道の精神と深く結びついていきました。
戦乱の中に生きた武士にとって、茶を点てることは、一瞬の静寂をつくり出し、自分を見つめる時間だったのかもしれません。
そして室町時代、足利義政(1436–1490)の時代には、「茶の湯」が上流文化として洗練され、千利休(1522–1591)によって「わび茶」という美学に結実します。
“わび”とは、華やかさではなく、不完全さや静けさの中に美を見出す感性です。
抹茶はそうした「静の思想」を体現する象徴のひとつだったのでしょう。
第2章 日常から離れた抹茶(江戸〜昭和前期/17〜20世紀初頭)
茶道が守り抜いた「もてなし」と「形式美」
江戸時代に入ると、社会が安定し、抹茶は上流階級や寺院で楽しまれるようになります。
一方、庶民の間では、より手軽に楽しめる煎茶文化が広まっていきました。
湯を注ぐだけで味わえる煎茶は、生活に寄り添う「日常のお茶」として定着していきます。
その結果、抹茶は徐々に「特別な席の飲み物*として位置づけられていったようです。
茶道は形式を重んじる儀礼へと発展しましたが、その中に息づく「もてなし」や「調和」の精神は、日本人の心の美しさを象徴していたともいえるでしょう。
明治・大正・昭和初期にかけても、抹茶を家庭で点てる習慣は少なくなりましたが、学校教育や婦人会活動を通じて茶道が受け継がれたことは、文化が細く長く息づき続けた証でもあります。
時代が移り変わっても、抹茶文化は静かに生き延びていたのです。
第3章 味として再び息づく抹茶(戦後〜高度成長期)
スイーツに受け継がれた“抹茶の記憶”
戦後の日本。人々の暮らしが大きく変化し、洋菓子やコーヒーといった新しい食文化が広がっていきました。
生活が便利になり、食の多様化が進むなかで、かつて格式高いもてなしの象徴だった抹茶は、日常の場からほとんど姿を消していったように思います。
けれども、完全に忘れ去られたわけではありませんでした。
昭和の中頃になると、京都や宇治の老舗茶舗が観光客向けに「抹茶アイス」や「抹茶ソフトクリーム」を販売し始めます。この小さな動きが、のちに“味としての抹茶文化”の再生につながっていったのではないでしょうか。
それまで抹茶は、茶道という限られた空間で点てて飲むもの――つまり上流階級の嗜みとして存在していました。しかし、この頃から、抹茶は初めて“味わう楽しみ”として一般の人々の手に届くようになったのです。
点てる作法を知らなくても、誰もが抹茶の香りや苦みを「おいしい」と感じられるようになったことは、ある意味で、抹茶が文化から味覚へと生まれ変わった瞬間だったのかもしれません。
京都や宇治では、抹茶を使った和洋折衷のスイーツが次々と登場しました。
抹茶ケーキ、抹茶プリン、抹茶羊羹など、さまざまな形で「抹茶の味」を楽しめるようになり、
抹茶は“上品で落ち着いた和の風味”として定着していきます。
それは、もはや格式ある茶席の象徴ではなく、旅先や日常の中で感じる“ちょっとした贅沢”として受け入れられたのでしょう。
こうして、長い間「特別な場の飲み物」だった抹茶が、少しずつ庶民の嗜みとしての日常に姿を現し始めたのだと思います。
形式ではなく感覚として「和の心」を味わう――
そんな新しいかたちの抹茶文化が、この時代に芽吹いたように思います。
第4章 現代の抹茶ラテ文化(平成〜令和)
“点てない抹茶”が日本人の庶民の娯楽へ
平成の時代に入ると、抹茶はまったく新しいかたちで再び脚光を浴びます。
カフェ文化の広がりとともに「抹茶ラテ」や「抹茶フラペチーノ」が若者の定番となり、
コンビニや駅ナカでも気軽に楽しめる存在になりました。
もはや抹茶は、茶室だけのものではなくなりました。
特別な作法がなくても、その色や香り、そしてどこか“整う”感覚が人々を惹きつけています。
面白いのは、形式を失ったことで、むしろ抹茶本来の「心を整える」意味が日常に戻ってきたことです。
一杯の抹茶ラテを飲みながら、ほっと一息つく時間――
それは、現代の茶室のようなものかもしれません。静かに心を落ち着かせるという本質だけが、
形を変えて今も生き続けているように思います。
第5章 なぜ日本人は抹茶を飲まないのに惹かれるのか
形式から象徴へ――「自分を取り戻すための小さな儀式」
かつて戦国の武将たちが茶室で抹茶を点てたのは、戦いの準備ではなく、自分の心を整えるための静かな儀式だったのでしょう。
刀を置き、湯気を見つめながら、茶碗の中に自分を映す。それは、外の世界に流されず、
自分の中心を確かめるための時間だったのかもしれません。
そして現代の日本人も、同じような感覚をどこかで求めている気がします。
忙しい仕事や情報の波にのまれ、自分を見失いそうになるとき、ふとカフェで抹茶ラテを手に取る。その瞬間、「少し立ち止まって、自分を取り戻そう」とする本能が働くのではないでしょうか。
抹茶を飲むこと自体が目的ではなく、その時間を通して自分を再確認するための小さな儀式を行っているのだと思います。
それは、千利休の時代から連なる“心の静けさ”の系譜の中にある行為です。形式は変わっても、抹茶が象徴してきた「整える」という感覚は、現代人の無意識の中にも残っているように思います。
結論:飲まなくても、抹茶は日本人の心の中で生きている
抹茶は、もはや「飲み物」というよりも、日本人の心のあり方を映す象徴のような存在かもしれません。
鎌倉時代の禅僧が心を鎮めるために点てた茶も、戦国の武将が自分を律するために嗜んだ茶も、
そして現代のサラリーマンがカフェで飲む抹茶ラテも――
すべてが「静けさを取り戻すための時間」としてつながっているように思います。
形式が変わっても、目的は変わりません。抹茶とは、状況に流されながらも自分を見失わないための文化だと感じます。
日本人は抹茶をあまり飲まなくなりましたが、その精神は、日常の中でさまざまな形に変わりながら生き続けています。
「ひと息つく」「落ち着く」「整える」――
そんな瞬間の中に、抹茶の心が今も息づいているのかもしれません。
世界が“MATCHA”に魅了されている今、
私たち日本人ももう一度、その根底にある「静けさの豊かさ」を見つめ直してみる価値がありそうです。

