世界三大雪まつりのさっぽろ雪まつり|市民の雪像から日本の雪文化を象徴する都市イベントへ
雪まつりと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、巨大な雪像が立ち並ぶ非日常的な光景でしょう。
一方で、「雪像を見て何が楽しいのか」「寒い中を歩き回るイベントに、なぜこれほど人が集まるのか」と感じる人がいるのも自然です。
雪は、日本において必ずしも歓迎される存在ではありません。
生活を妨げ、移動を難しくし、ときには災害にもなる。
それでも札幌では、雪をただ排除する対象としてではなく、都市の中心に持ち込み、形にし、人が集まる理由へと変えてきました。
さっぽろ雪まつりは、最初から観光イベントとして設計されたものではありません。
1950年、大通公園に並んだ6基の雪像は、冬の厳しさを少しでも前向きに受け止めようとした、市民の小さな試みでした。
その試みが繰り返され、関わる人が増え、やがて都市全体を巻き込む行事へと広がっていきます。
本記事では、さっぽろ雪まつりの起源と発展をたどりながら、
なぜこの雪まつりが世界三大雪まつりの一つに数えられるようになったのか、
そしてそれが日本の雪文化とどのようにつながっているのかを整理していきます。
さっぽろ雪まつりの起源
1950年に始まったさっぽろ雪まつりの原点
さっぽろ雪まつりの始まりは、行政施策や観光振興を目的とした計画ではありません。
1950年(昭和25年)、大通公園に設置された6基の雪像が、その出発点です。
当時の札幌にとって、雪は日常的に向き合わざるを得ない存在でした。
冬になると大量の雪が降り積もり、除雪や排雪は生活の大きな負担になります。
雪まつりの原点は、その雪を「どうにか減らすもの」としてではなく、「ある前提で扱ってみる」という発想にありました。
雪像を最初に作ったのは、市民、主に高校生たちでした。
特別な技術や設備があったわけではなく、身近な道具と雪を使い、形を作る。
それを見た人が立ち止まり、眺め、言葉を交わす。
この一連の行為が、雪像という表現が都市空間の中で成立し得ることを示しました。
重要なのは、この段階で「雪まつり」という完成像が想定されていなかった点です。
誰かが作り、誰かが見に来て、翌年も続いた。
その積み重ねの中で、行事としての輪郭が後から形づくられていきました。
大通公園が会場になった理由と初期の雪像
大通公園が会場となったことも、さっぽろ雪まつりの性格を象徴しています。
この公園は、もともと祝祭のために整備された空間ではなく、防火帯として都市計画上に設けられた場所でした。
冬季には雪が集まりやすく、排雪場所として使われることも多かったため、人の活動は限定的になりがちでした。
その空間に雪像を置くことは、都市の中で役割を失いかけていた場所を、別の意味で使い直す行為でもありました。
雪を取り除いた後に何かをするのではなく、雪がある状態そのものを前提に空間を再解釈する。
この発想は、後の札幌の冬季イベントや街づくりにも通じています。
初期の雪像は、現在のような巨大で精緻なものではありません。
身近な人物や題材をかたどった、素朴な造形が中心でした。
完成度よりも、「雪で何かを作る」「それを人に見せる」という行為そのものに意味があったと考えられます。
市民主体で始まった雪まつりの特徴
さっぽろ雪まつりの根本的な特徴は、市民主体で始まった点にあります。
行政主導のイベントであれば、目的や規模、役割分担があらかじめ定義されますが、雪まつりにはそうした設計図がありませんでした。
作りたい人が作り、見たい人が見に来る。
それが翌年も続き、少しずつ関わる人が増えていく。
この反復の中で、雪像の数が増え、規模が拡大し、やがて行政や各種団体が関与するようになります。
ただし、その後に体制が整えられても、出発点が市民にあったという事実は変わりません。
雪まつりが特定の価値観や形式に固定されにくく、時代に応じて姿を変えてきた背景には、この始まり方が大きく影響しています。
なぜ札幌で生まれたのか
札幌の雪の量と都市規模が雪まつりに適していた理由
さっぽろ雪まつりが成立した背景には、札幌という都市の条件があります。
札幌は日本有数の豪雪地帯でありながら、人口規模が大きく、行政機能や商業施設が市街地に集中しています。
雪が多い地域は他にもありますが、山間部や小規模な都市では、人が集まり続けるイベントを維持するのは容易ではありません。
一方、札幌は都市としての集客力を持ちながら、雪が日常の一部として存在していました。
大量の雪が毎年確実に確保できること、
そしてその雪を集積・加工できる都市インフラがあったこと。
この二つが重なったことで、雪像を中心とした行事が継続可能な形で成立しました。
雪を排除しない札幌の街づくりと冬の過ごし方
札幌の街づくりは、雪を完全に排除する方向ではなく、雪と共存する前提で進められてきました。
ロードヒーティングや地下歩行空間の整備は、雪をなくすためというより、雪がある状態でも都市機能を維持するための工夫です。
雪まつりも同様に、雪を取り除いた後の空間を使うのではなく、雪が存在する状態そのものを活用します。
この姿勢は、日本の雪国文化に共通する考え方とも重なります。
雪を避けるのではなく、
扱い、工夫し、意味を与える。
さっぽろ雪まつりは、その感覚が都市の中で具体化した事例だと言えるでしょう。
祭りではなく「都市イベント」として育った理由
神事や伝統行事ではない雪まつりの特殊性
さっぽろ雪まつりは、「祭り」という名称を持ちながら、神事や宗教的背景をほとんど持っていません。
日本の多くの祭りが、五穀豊穣や厄除け、地域の神社を中心に発展してきたのに対し、雪まつりには明確な信仰的起点が存在しません。
この点は、雪まつりを理解するうえで非常に重要です。
雪まつりは、伝統を継承するための行事ではなく、都市生活の中で生まれた「公共空間の使い方」の一形態として発展しました。
誰かに祈るためでも、儀式を再現するためでもなく、
雪がある都市の冬をどう過ごすかという、極めて現代的な問いへの答えとして形成されてきた。
この性格が、雪まつりを固定化しにくくし、時代に応じた変化を可能にしています。
行政が「主催」ではなく「後から関与」した構造
雪まつりは、市民主体で始まった後、規模の拡大に伴って行政が関与するようになります。
ただし、その関与は最初から主催者として前面に出る形ではありませんでした。
雪像の数が増え、来場者が増え、安全管理や会場整備が必要になる。
その要請に応える形で、市や関係団体が調整役として関わるようになったのが実情です。
この順序が逆でなかったことは重要です。
行政が企画したイベントに市民が参加したのではなく、市民の活動に行政が後から枠組みを与えた。
そのため、雪まつりは「行政色が強い」と見られがちでありながら、完全に管理されたイベントにはなっていません。
現在でも、市民制作の雪像、企業協賛の雪像、行政や自衛隊による大型雪像が混在しています。
この多層構造は、雪まつりが単一の目的で設計されていないことを示しています。
都市の中心部を占有するイベントが成立した理由
さっぽろ雪まつりのもう一つの特異点は、都市の中心部を大規模に使って開催される点です。
大通公園という、札幌の象徴的な都市軸が会場となることで、雪まつりは「郊外の催し」ではなく、「都市そのものの表情」として認識されるようになりました。
通常、都市中心部は経済活動や交通を優先して使われます。
そこを一定期間、歩行者空間として開放し、雪像を並べるという判断は、簡単なものではありません。
それでも成立した背景には、
冬の札幌では屋外空間の経済利用が限定的になるという現実があります。
雪まつりは、その時期にしかできない使い方を、期間限定で最大化する発想だったとも言えます。
陸上自衛隊の参加と大型雪像の成立
1955年から始まった自衛隊の参加
さっぽろ雪まつりに陸上自衛隊が関わるようになったのは、1955年です。
これは、自衛隊が発足して間もない時期にあたります。
当時の自衛隊は、「軍隊ではない実力組織」としての立場を社会に理解してもらう必要がありました。
災害派遣や地域支援と並び、雪まつりへの参加は、地域社会との関係を築く機会でもあったと考えられます。
名目上は雪中訓練の一環とされましたが、実際には地域行事への協力という側面が強く、
雪像制作を通じて、自衛隊が都市生活の中に存在することを自然に示す役割も果たしていました。
なぜ自衛隊でなければ大型雪像は作れなかったのか
雪像の規模が拡大するにつれ、制作には大量の雪の運搬、人員の動員、高所作業の安全管理が必要になります。
これらを同時に満たせる組織は、当時ほとんど存在しませんでした。
自衛隊は、
・重機の運用
・集団作業の統制
・雪中での作業経験
・安全管理のノウハウ
をすでに備えていました。
そのため、大型雪像の制作を担う存在として、現実的な選択肢だったと言えます。
結果として、雪像は高さ15メートル級、幅17〜18メートルといった規模にまで拡大していきます。
ここで重要なのは、雪像が単なる展示物ではなく、
「人が安全に近づける巨大構造物」として成立している点です。
この成立条件を支えたのが、自衛隊の組織的な関与でした。
雪像制作は「雪中訓練」でもあった
自衛隊にとって雪像制作は、単なる奉仕活動ではありませんでした。
雪の性質を理解し、圧雪し、構造を保ちながら削り出す作業は、雪中行動の訓練としても意味を持ちます。
イグルーの構築、雪壁の安定性の確認、高所作業時の安全確保。
これらは、雪中訓練で求められる技能と重なります。
ただし、軍事的な訓練色が前面に出ることはありませんでした。
あくまで「市民が楽しむ雪像」を完成させることが目的であり、
その過程で結果的に訓練にもなっていた、という位置づけです。
この距離感が、雪まつりと自衛隊の関係を長く持続させた理由の一つだと考えられます。
雪像はどのように作られているのか
雪像制作は半年近い準備から始まる
大型雪像の制作は、雪が降ってから始まるわけではありません。
テーマの検討や構造の設計は、秋頃から行われます。
粘土で模型を作り、完成形を立体的に確認する。
どの部分にどれだけの雪が必要か、どこまで削り込めるか。
これらを事前に詰めておかなければ、現場作業は成立しません。
12月中旬にはテーマが確定し、年明けから一気に制作が進みます。
会期直前の短期間で完成させるためには、事前準備が不可欠です。
純白の雪だけを使う理由
雪像に使われる雪は、札幌市郊外から運び込まれます。
街中の雪や除雪された雪は使われません。
理由は単純で、不純物が混じると雪像の強度や見た目に影響が出るからです。
純白の雪を圧縮し、均一な塊として積み上げることで、初めて精密な造形が可能になります。
この工程だけでも、相当な手間とコストがかかります。
雪像が「雪でできているから簡単」というものではないことが、ここからも分かります。
最後はほとんどが手作業で仕上げられる
大型の雪の塊は重機で削られますが、細部の造形は手作業が中心です。
1センチ単位で削り、形を整え、陰影をつけていく。
高所では命綱をつけて作業が行われ、
会期中も補修や調整が続きます。
完成した雪像は、完成した瞬間から溶け始める存在です。
その儚さも含めて、雪像は「その時、その場所でしか成立しない表現」だと言えるでしょう。
世界三大雪まつりと呼ばれる理由
「世界三大雪まつり」という呼称の位置づけ
「世界三大雪まつり」という言い方は、国際機関などが公式に定義した称号ではありません。
一般的には、
・さっぽろ雪まつり
・カナダのケベック・ウィンター・カーニバル
・中国のハルビン氷祭り
を指して使われることが多く、観光・メディア文脈の中で定着してきた呼称です。
ここで重要なのは、三つのイベントが同じ性質を持っているわけではないという点です。
氷を主役にした芸術性、カーニバル文化、都市観光戦略など、それぞれの成り立ちも目的も異なります。
その中で、さっぽろ雪まつりは「都市の中心部を舞台に、市民参加と巨大雪像を両立させた稀有な事例」として位置づけられています。
ハルビン氷祭り・ケベックとの決定的な違い
ハルビン氷祭りは、氷を使った建築的スケールの展示が特徴で、夜間照明を含めた視覚的インパクトが強いイベントです。
一方、ケベック・ウィンター・カーニバルは、仮装やパレード、冬を楽しむための祝祭色が前面に出ています。
それに対し、さっぽろ雪まつりは、
・雪像そのものの量と規模
・市民制作から自衛隊制作までが混在する構造
・都市中心部を長期間占有する運営
という点で独自性を持っています。
特定の演出やショーに依存せず、
「雪像がそこに並んでいること」自体がイベントの核になっている。
この構造は、世界的に見ても珍しいものです。
芸術性でも競技性でもない独特の立ち位置
さっぽろ雪まつりの雪像は、純粋な芸術作品とも、競技の成果物とも言い切れません。
コンクール要素は存在しますが、それが主目的ではありません。
評価されるのは、完成度だけでなく、
・どれだけ多くの人が立ち止まるか
・写真を撮るか
・会話が生まれるか
といった、空間としての機能です。
この「評価軸の曖昧さ」こそが、雪まつりを長く続けてきた理由でもあります。
正解が決まっていないからこそ、毎年更新され続けてきました。
海外から見たさっぽろ雪まつりの「分かりにくさ」
祭りなのかアートイベントなのか判断できないという反応
海外から雪まつりを訪れた人の反応を見ていると、
最初に現れるのは強い称賛よりも戸惑いです。
目の前に並んでいるのは巨大な雪の造形物ですが、
太鼓や神輿があるわけでもなく、決まった進行があるわけでもない。
いわゆる「祭り」を想像して来ると、何を軸に見ればいいのか分からないという感覚が生まれます。
実際、雪像を前にして
「これはアートイベントなのか」「展示会のようだ」
と表現する外国人観光客は少なくありません。
この反応は否定的なものではなく、
既存のカテゴリーに当てはめようとして生じる自然な混乱です。
ビルと比較される巨大雪像のスケール感への驚き
次に強く印象づけられるのが、雪像の大きさです。
高さ15メートル前後、幅十数メートルに及ぶ大型雪像は、
初めて目にした人にとっては、彫刻というより建築物に近い存在に映ります。
実際に、周囲のビルと見比べながら
「どうやって作っているのか分からない」と語られることも多く、
雪像の完成度以上に、制作プロセスそのものが驚きの対象になります。
つまり、海外の来場者はまず感覚的に「これは個人や少人数では作れない」と気づき、
そこから雪まつりの成り立ちを逆算するように理解していくのです。
キャラクター雪像が公共空間に並ぶことへの違和感
もう一つ特徴的なのが、キャラクター雪像への反応です。
ポケモンやゲームキャラクター、アニメのモチーフが、
都市の中心部に巨大な雪像として並んでいる光景は、海外では必ずしも一般的ではありません。
公共空間における表現や権利の扱いが厳格な国ほど、
「なぜこれが可能なのか」という疑問が先に立ちます。
それと同時に、子どもから大人までが自然に写真を撮り、
雪像の前で立ち止まっている様子に、都市の空気の柔らかさを感じ取る人もいます。
ここで評価されているのは、キャラクターそのものではありません。
雪まつりが、娯楽と表現、公式と非公式の境界を過度に固定せず、
公共空間を一時的に開いている点そのものです。
海外から見ると、さっぽろ雪まつりは
「分かりやすい祭り」ではありません。
しかし、その分かりにくさが、他の雪・氷イベントとは異なる印象を残し、
結果として強い記憶として持ち帰られていきます。
グルメと屋台が雪まつりに与えた意味
雪像だけでは成立しない現実的な動線
雪まつりは、屋外を長時間歩くイベントです。
寒さの中で雪像だけを見続けるのは、現実的には負担が大きい。
そこで重要な役割を果たしているのが、会場内外に展開される屋台や飲食ブースです。
食べる、温まる、休む。
これらの行為が挟まることで、来場者は雪像を「点」ではなく「回遊体験」として楽しめるようになります。
グルメは付随要素ではなく、滞在時間を成立させるための基盤です。
北海道グルメが持つ説得力
雪まつりの屋台で提供されるのは、
味噌ラーメン、スープカレー、海産物、ジンギスカンなど、北海道のイメージと強く結びついた食文化です。
これらは、雪像と同じく「寒さ」と相性が良い。
温かい汁物、脂のある料理は、体感的にも意味を持ちます。
雪を見て、寒さを感じ、北海道らしいものを食べる。
この一連の流れが、観光体験として自然に接続されています。
「ごった煮」に見えるからこそ成立している構造
外から見ると、雪像、屋台、企業ブース、イベントステージが混在する雪まつりは、ごった煮のようにも映ります。
しかし、その雑多さこそが、多様な来場者を受け止める余地を生んでいます。
雪像に強い関心がなくても、
食事目的で訪れ、結果的に雪像を見る。
その逆も起こる。
単一の目的に絞らない構造が、雪まつりを「誰でも参加できるイベント」にしています。
まとめ:苦しさだけではない、日本の雪文化の象徴として
雪を「克服対象」にしなかった選択
日本の雪国では、長い間、雪は克服すべき存在として扱われてきました。
除雪、排雪、交通対策。
生活の中で雪をどう減らすかが中心的な課題でした。
さっぽろ雪まつりは、その文脈を一部反転させています。
雪を完全に排除するのではなく、
「あるものとして扱い、意味を与える」。
この姿勢は、雪国の生活感覚と深くつながっています。
雪があるからこそ生まれた都市の表情
雪まつりの期間、札幌の街は普段とは異なる表情を見せます。
昼間は雪像の造形が際立ち、夜はライトアップによって陰影が強調される。
これは、雪があるからこそ可能な演出です。
もし雪がなければ、同じ空間構成は成立しません。
雪まつりは、
「この街は雪とともに存在している」
という事実を、視覚的に、体感的に示しています。
さっぽろ雪まつりが象徴するもの
さっぽろ雪まつりは、単なる観光資源ではありません。
雪に悩まされながらも、雪とともに生きてきた都市が、
その経験を肯定的に外へ開いた結果だと言えます。
苦しさを否定せず、
しかしそれだけで終わらせない。
雪を使い、形にし、人を呼び、楽しみに変える。
その積み重ねが、
さっぽろ雪まつりを、日本の雪文化を象徴する存在へと押し上げてきました。
