なぜ日本食は「コンフォートフード」と呼ばれるようになったのか
──海外の視点から見た、日本の日常的な食事
近年、日本を訪れた外国人観光客の動画やSNS投稿を見ていると、
うどんやそば、カレーを食べながら
「This is my comfort food.」
と語る場面に出会うことが増えました。
日本人の感覚からすると、少し意外に感じる表現です。
コンフォートフードといえば、家庭の味や懐かしい料理、
いわば「育った味」を指す言葉だったはずだからです。
初めて食べた異国の料理に対して、
なぜその言葉が使われるのか。
この違和感は、日本食そのものよりも、
言葉の使われ方が変化していることに由来しています。
- なぜ今、海外で「コンフォートフード」という言葉が使われているのか
- 現代では「日常的に疲れている状態」が前提になりつつある
- 日常の食事が「回復」ではなく「負担」になりやすい背景
- 「体を労わる行為」が日常に組み込みにくい社会構造
- 1980年代と現在で変わった、コンフォートフードの意味
- なぜ日本食は「コンフォートフード」と感じられやすいのか
- 「やさしい味」ではなく「拒否されにくい味」
- そばやうどんが挙げられやすい理由
- なぜ日本のカレーは「カツカレー」なのか
- 丼ものや定食が「帰ってきた味」になる理由
- 日本人が考えるコンフォートフードとの違い
- 食事が「回復の体験」として記憶されるとき
- 日本ロスと呼ばれる感覚の一部としての食事
- まとめ
なぜ今、海外で「コンフォートフード」という言葉が使われているのか
コンフォートフードという言葉自体は、
決して新しい概念ではありません。
以前から、気持ちを落ち着かせてくれる食事を指す言葉として、
英語圏では使われてきました。
ただし、近年この言葉が使われる場面は明らかに増えています。
その背景には、
現代人の生活環境と疲労のあり方の変化があります。
現代では「日常的に疲れている状態」が前提になりつつある
回復する時間や余白が、生活の中から減っている
1980年代と現在を比べると、
働き方や生活環境は大きく変わりました。
常に通知が届き、
仕事と私生活の境界は曖昧になり、
頭を完全に休める時間は短くなっています。
疲労は、
特別な出来事の結果というより、
日常の構造そのものに組み込まれるようになりました。
「元気になる」より「これ以上消耗しない」ことが重視される
その結果、
多くの人にとって重要なのは、
元気を取り戻すことよりも、
これ以上疲れを増やさないことになっています。
疲れていること自体が例外ではなく、
常態として受け止められるようになった点は、
過去との大きな違いです。
日常の食事が「回復」ではなく「負担」になりやすい背景
海外の一般的な食事は、身体への刺激が強い
こうした疲労状態の中で、
日常的に口にする食事の影響は小さくありません。
海外の一般的な食事は、
油脂や糖分が多く、量も多めです。
満足感は高い一方で、
食後に身体の重さや眠気が残ることも珍しくありません。
食事が「楽になる時間」になりにくい生活環境
これは好みの問題ではなく、
生活リズムと食文化の組み合わせによる構造的な特徴です。
結果として、
食事が回復の時間というより、
消耗を前提とした行為になりやすい側面があります。
「体を労わる行為」が日常に組み込みにくい社会構造
回復手段が、特別な行為として切り離されている
疲れた身体を労わる方法として、
スパやマッサージ、ヨガ、運動などがあります。
しかし、これらは多くの場合、
時間や費用、事前の準備を必要とする
特別な行為として位置づけられています。
最後に残るのが「何も考えずに口にできる食事」
疲れている状態ほど、
積極的なセルフケアは選びにくくなります。
その結果、
最も手軽で確実な回復手段として残るのが食事です。
考えなくてもよく、
身体が拒否しないことが重要になります。
1980年代と現在で変わった、コンフォートフードの意味
かつては「記憶」に結びついた言葉だった
1980年代頃まで、
コンフォートフードは家庭の記憶や懐かしさと
強く結びついた言葉でした。
子どもの頃に食べた料理、
実家で当たり前に出てきた味。
そうした記憶が、
心を落ち着かせてくれる存在として語られていました。
現代では「身体感覚」を表す言葉へと移行している
現在の海外では、
コンフォートフードの基準は
必ずしも過去の記憶に結びついていません。
重要なのは、
「いま、この食事が身体にとって楽かどうか」です。
初めて食べた料理にも使われるようになった理由
そのため、
初めて食べる料理であっても、
身体が無理なく受け入れられた瞬間に、
コンフォートフードという言葉が使われます。
食べている最中に
「これはコンフォートだ」
と語られるのは、
その場での身体感覚が基準になっているからです。
なぜ日本食は「コンフォートフード」と感じられやすいのか
現在、海外で使われているコンフォートフードという言葉は、
懐かしさよりも
「いま、この食事が身体にとって楽かどうか」
という感覚に重心が移っています。
この視点で見ると、
日本食がコンフォートフードとして語られる現象は、
決して不思議なものではありません。
そこには、日本食が持ついくつかの特徴が関係しています。
「やさしい味」ではなく「拒否されにくい味」
強く主張しないことが、安心感につながる
日本食はしばしば
「やさしい味」と表現されます。
しかし、海外の人が感じているのは、
単なる薄味ではありません。
香り、塩味、油分、温度。
それぞれが極端に突出せず、
身体が構えなくても受け取れる状態で
提供されている点に特徴があります。
これは「味が弱い」という意味ではなく、
身体にとって拒否反応を起こしにくい、
という性質に近いものです。
「おいしい」以上に、身体が「楽だった」という感覚
海外の動画やSNSを見ていると、
「おいしい」という言葉と並んで、
「重くならなかった」
「食後も楽だった」
といった表現が使われていることがあります。
これは味覚の評価というより、
食後の身体感覚に対する評価です。
その体験全体が、
コンフォートフードという言葉で
まとめられていると考えられます。
そばやうどんが挙げられやすい理由
文化的には異質でも、身体的には受け入れやすい
そばやうどんは、
出汁文化や「すする」という行為を含む、
文化的には異質な料理です。
それでもコンフォートフードとして
語られやすいのは、
身体的な負担が小さいからです。
麺の柔らかさ、
油分の少なさ、
温度の安定感。
これらが、
初めて食べる人にとっても
安心材料として作用します。
香りや温度が、安心感として作用する
特にそばについては、
香りに言及する外国人も少なくありません。
「大地を感じる」
「自然を感じる」
といった表現は、
文化的理解というよりも、
人工的な刺激が少ない香りに対する
身体的な反応に近いものです。
なぜ日本のカレーは「カツカレー」なのか
日本的な基準ではなく、海外側の基準での「ちょうどよさ」
日本人にとって、
体調が優れないときの食事といえば、
おかゆや湯豆腐を思い浮かべる人もいるでしょう。
しかし海外の視点では、
それらは軽すぎて
「満足感が足りない」
と感じられることがあります。
その結果、
・スパイスの香りがあり
・揚げ物でエネルギーもあり
・食後に極端な重さが残らない
というバランスを持つ
カツカレーが、
コンフォートフードとして挙げられやすくなります。
丼ものや定食が「帰ってきた味」になる理由
味の構成が、理解しやすい
親子丼、かつ丼、牛丼、定食。
これらは味の構成が比較的シンプルです。
主菜、炭水化物、出汁やタレ。
味の役割が分かりやすく、
食べながら考える必要がありません。
その分、
身体感覚に意識が向きやすくなります。
日常食であること自体が、安心感になる
高級料理ではなく、
庶民的な食事であることも重要です。
「特別なものを食べている」
という緊張感がなく、
日常の延長として受け取られる。
この距離感が、
コンフォートとしての印象を強めます。
日本人が考えるコンフォートフードとの違い
日本人にとってのコンフォートフードは、
湯豆腐やおかゆ、
家庭の味を思い起こさせる料理が
中心になりやすい傾向があります。
一方、海外の人が感じているのは、
「懐かしさ」ではなく
「身体が拒否しなかった体験」です。
ここには、
コンフォートフードという言葉が
指している対象の違いがあります。
食事が「回復の体験」として記憶されるとき
日本旅行中、
多くの人は日常よりも
歩き、動き、疲れます。
その中で、
日本の食事が
身体を過度に消耗させず、
次の行動を妨げなかった場合、
その体験は強く印象に残ります。
それが、
帰国後に
「またあの味が食べたい」
という感覚につながります。
日本ロスと呼ばれる感覚の一部としての食事
日本ロスと呼ばれる感覚は、
食事だけで構成されているわけではありません。
街の静けさ、
人との距離感、
清潔さ、
時間の流れ。
その中の一つとして、
「身体が楽だった食事の記憶」
が含まれています。
日常に戻ったとき、
その差が意識された瞬間に、
日本の食事が
コンフォートフードとして
思い出されるのです。
まとめ
海外で日本食が
コンフォートフードと呼ばれる背景には、
味覚の好み以上に、
身体感覚の違いがあります。
それは
「懐かしいから」ではなく、
「楽だったから」。
日本の庶民的な食事が、
初めてであっても
安心できる体験として
記憶される理由は、
そこにあります。
