日本を訪れた外国人観光客が、SNSや動画でよく口にすることがあります。
「こんなに美味しいのに、なぜGoogleレビューが3.5なんだ」と。
海外では絶賛されるレベルの飲食店や宿泊施設でも、日本のレビューサイトでは3点台が珍しくありません。逆に4点を超えると、かなりの高評価として扱われることもあります。
これは単純に「日本人は不満が多い」という話なのでしょうか。
個人的には少し違う気がしています。好きな店があっても、レビューを書かずに通い続けている人は多い。改善点が見えていても、それと「好き」は別の話だったりする。日本のレビュー文化には、点数だけでは説明しにくい構造があるように思います。
海外では絶賛レベルでも、日本では3点台が珍しくない
「こんなに美味しいのに3.5?」と驚く海外観光客
日本を旅行した外国人が動画や投稿で絶賛しているラーメン店や定食屋を調べると、日本のレビューサイトでは3.4や3.6といった数字が並んでいることがあります。
海外の感覚では、あれほど美味しければ4.5以上がついていても不思議ではない。そのギャップに驚く外国人は少なくないようです。
ただこれは、日本人がその店を嫌いだということではありません。実際に毎日行列ができていたり、何年も通い続けている常連が多かったりする。点数と支持が必ずしも一致していない構造が、日本のレビュー文化には存在しているように思います。
海外レビューの「Amazing」と日本レビューの「3.5」は両立する
海外のレビューでは「Amazing」「Incredible」「Best ramen ever」といった表現が並ぶ一方、日本語レビューでは「美味しかったですが、スープがやや塩辛めでした」「接客は丁寧でしたが、少し待ちました」といった書き方が多い印象があります。
どちらが正直かという話ではなく、評価の表現スタイルが違うのだと思います。海外では感動をそのまま出す傾向があり、日本では気になった点も一緒に書く傾向がある。同じ体験でも、レビューとして表れる形が異なるのかもしれません。
日本では”満足”と”満点評価”が一致しないことがある
日本のレビュー文化において、「満足している」と「高評価をつける」は必ずしもイコールではないように感じます。
十分に満足していても、何か一つ気になる点があれば星を一つ引く。完璧ではないから4にする。こうした傾向が積み重なると、全体の点数は低めに収束しやすくなります。
一方で海外では、気に入ったなら5、問題があったなら1、という二極化しやすい傾向もある。平均値として日本と海外に差が出やすい背景には、こうした評価スタイルの違いもあるのかもしれません。
日本のレビューはなぜ厳しく見えるのか
日本では「好き」と「改善点」が同時に存在しやすい
個人的な話をすると、近所に毎週通っているラーメン屋があります。店主の人柄が良く、味も好みで、気づけば何年も通い続けています。
ただ、改善できそうな点も見えています。席の配置、仕込みのタイミング、メニューの見せ方。でも、それをわざわざ伝えるほどのことでもないし、コストや手間を考えると難しい事情もあるだろうと理解している。だからレビューには書かない。それでも毎週行く。
「好き」と「改善点がある」は、日本では同時に成立することが多いように思います。
「完璧ではないけど好き」という感情は珍しくない
欧米のレビュー文化では、気に入ったら「Perfect」「Loved everything」と書きやすい傾向があります。一方、日本では「全部良かったです」と書くことへの照れや遠慮が働くこともあるかもしれません。
また、完璧ではないけど好き、という感情自体が日本人にとっては自然なものであることも関係しているかもしれません。未完成のものを応援したい、欠点込みで愛着が湧く、といった感覚は日本文化の中に根づいている部分があるように感じます。
日本人は”欠点ゼロ”を前提に評価しているわけではない
日本のレビューが厳しく見える理由として「完璧主義」や「減点方式」がよく挙げられます。ただ個人的には、それだけでは説明しきれない部分もあると思っています。
欠点があっても通い続ける人は多い。改善点を書いても、それは「嫌い」ではなく「もっと良くなってほしい」という気持ちの表れであることもある。日本のレビューは辛口に見えても、その裏に支持が存在していることが多いのかもしれません。
レビュー点数が高くても「自分に合う店」とは限らない
人気店をあえて避ける人もいる
Googleで4.5以上、レビュー数が1,000件を超える店があったとして、それが自分にとって最高の店かどうかはわかりません。
高評価の飲食店は混んでいることが多い。週末に1時間並ぶことが前提であれば、それ自体がコストになります。評価が高いほど人が集まり、空気感や居心地が変わることもある。人気店をあえて選ばない人がいるのは、不合理な行動ではないと思います。
行列・空気感・客層も店選びの一部になる
レビュー点数が高くても、実際に訪れてみると「なんか違う」と感じることがあります。逆に、点数は平均的でも「この店は自分に合う」と感じて通い続けることもある。
空気感、客層、店の広さ、混雑具合、店主との距離感。こうした要素はレビューには現れにくいですが、店を選ぶ上でかなり重要な判断基準になっていることがあります。
ラーメン一杯でも「好き」は大きく分かれる
ラーメンを例に取ると、同じ「美味しい」でも中太麺が好きな人と細麺が好きな人では、評価が変わります。あっさり系が好きな人には、濃厚で人気の店が合わないこともある。
つまり、高評価はその店が多くの人に好かれているということであって、自分に合うかどうかは別の問題です。レビュー点数が高いほど「平均的な好み」に最適化されているとも言えます。そこに合わない人にとっては、3.5の店のほうが居心地が良い場合もある。
日本人はレビュー点数だけで店を選んでいない
「何点か」より「誰が何を評価しているか」を読む
レビューを参考にするとき、点数だけを見て判断するより、レビューの内容を読んで判断する人も少なくないと思います。
「コスパが最高」という評価が多い店に行きたいかどうかは人によって違います。「静かで落ち着ける」という評価が多い店のほうが自分に合うかもしれない。点数は平均値ですが、内容には書いた人の価値観が出ます。
レビューから”店”より”客層”を見る人もいる
レビューを読むとき、その店がどういう客層に支持されているかを読み取ろうとする人もいます。
子ども連れが多そう、観光客向け、地元の常連が多そう、といった情報は点数には出ません。ただレビューの内容や言葉遣い、写真の雰囲気から、ある程度推測できることがあります。こうした読み方をしている人にとって、点数の高低はあくまで参考情報の一つでしかありません。
「高評価だから行く」ではなく「自分に合うか」で判断される
レビューは他人の体験の記録です。その体験が自分に合うかどうかは、点数だけでは判断できません。
日本のレビュー文化において、点数を絶対的な基準として使っている人ばかりではないと思います。むしろ、点数はスクリーニングに使いつつ、最終的には内容や空気感から「自分に合うか」を判断している人も多いのではないでしょうか。
日本人は感情を単純な「良い・悪い」で整理しにくい
日本人は「混合感情」を経験しやすいという研究
心理学の研究によると、日本をはじめとする東洋圏の人々は、西洋圏と比べてポジティブとネガティブの感情を同時に経験しやすい傾向があるとされています。(参考:日本心理学会・感情研究)
つまり「楽しかった」と「少し残念だった」が同時に成立しやすい。これは感情処理の文化的な違いであり、良し悪しの話ではありません。
「名残惜しい」「切ない」も満足感に含まれることがある
日本語には「名残惜しい」「切ない」「甘酸っぱい」といった、ポジティブとネガティブが混ざった感情を表す言葉が豊富にあります。
旅館のチェックアウト時に感じる「もう少しいたかった」という気持ちや、好きなラーメン屋を出た後の「また来よう」という感覚は、単純な「良かった」では表現しきれない部分があります。こうした複雑な満足感は、5段階評価には収まりにくいのかもしれません。
“好き”と”不満”が同時に存在することは不自然ではない
改善してほしい点があることと、その店が好きであることは矛盾しません。むしろ、通い続けているからこそ細かい部分が見えてくることもあります。
日本のレビューに改善要望が多いのは、不満の表れである場合もありますが、関心と愛着の表れである場合もある。その区別は点数だけでは見えません。
常連ほどレビューを書かないことがある
通い続けること自体が”支持”になっている
毎週同じ店に行く人は、その店を強く支持しています。しかしその支持は、レビューサイトには現れません。
レビューを書くという行動には、ある種の動機が必要です。感動した、伝えたい、誰かの役に立ちたい。あるいは怒りをぶつけたい。ただ「好きだから通っている」だけでは、わざわざ書く動機にはなりにくい。
結果として、最も強い支持者が最もレビューを書かないという構造が生まれやすくなります。サービス業における関係価値については、こちらの記事でも考えています。
店主との関係性込みで店を好きになる人もいる
常連になるにつれて、その店への評価は「料理の質」だけではなくなっていきます。店主の人柄、常連同士の空気感、自分が受け入れられている感覚。こうした関係性の積み上げが、その店への愛着を作っていきます。
こうした価値は点数化しにくく、レビューに書きにくい部分でもあります。
「困っていたら応援したい」と感じる人もいる
普段はレビューを書かない人でも、「この店が経営的に苦しそうだ」「もっと知られてほしい」と感じた時には、応援の気持ちからレビューを書くことがあります。
これはレビューが単なる評価ではなく、支援行動にもなりうることを示しています。日本における「応援したい」という感情の構造については、こちらの記事でも整理しています。
レビューだけでは見えない”静かな支持”も存在する
満足していてもレビューを書かない人は少なくない
レビューを書く行動は、全員がするわけではありません。満足していても書かない人、不満があっても書かない人、書くこと自体に関心がない人。様々な人がいます。
つまりレビューに集まる声は、「書こうと思った人の声」でしかありません。書かなかった人の満足や支持は、そこには現れない。
レビューには”感情の強い人”が集まりやすい
レビューを書く動機として強いのは、強い感動と強い不満です。普通に良かった、というレベルでは書く動機になりにくい。
その結果、レビューには感情の振れ幅が大きい人の声が集まりやすくなります。ネガティブレビューを繰り返す傾向がある人が一定数存在することも、こうした構造から説明できます。
日本には点数化しにくい”好き”が存在している
空気感、居心地、店主の人柄、常連との距離感、帰り際の名残惜しさ。こうした要素への「好き」は、星の数には変換しにくいものです。
日本のサービス文化には、こうした点数化しにくい価値が多く含まれているように思います。そしてそれは、レビュー点数が低めに見えることとも関係しているのかもしれません。日本における感謝や支持の可視化については、こちらの記事でも考えています。
まとめ
日本のレビュー文化は、海外から見ると「厳しい」と感じられることがあります。実際、海外では絶賛されるような飲食店や宿泊施設でも、日本では3点台に留まっているケースは珍しくありません。
しかし、それは単純に「日本人は不満が多い」という話ではないのかもしれません。
日本では、好きだけど改善点も見える、通いたいけど混雑は嫌、完璧ではないけど居心地が良い、といったように、”好き”と”不満”を同時に抱えながらサービスを楽しんでいることも少なくありません。
また、日本ではレビュー点数だけではなく、空気感、店主の人柄、客層、居心地、常連との距離感など、点数化しにくい価値を重視する人もいます。
そのため、日本のレビュー文化では「満足している=高得点」と単純にはならず、海外から見ると独特に映るのかもしれません。
それでも、多くの人はお気に入りの店に通い続けます。レビューに残らない”静かな支持”も、日本のサービス文化を支えている一つの特徴なのではないでしょうか。
