omakase(おまかせ)はなぜ海外で人気なのか
日本の信頼型文化と契約型おまかせの違い
近年、海外の飲食シーンで「OMAKASE」という言葉を目にする機会が増えてきました。
寿司店に限らず、さまざまなジャンルのレストランやバーで使われる場面も見られるようになっています。
一見すると、これは日本食ブームの延長線上にある現象のようにも映ります。
実際、日本料理への関心の高まりが背景にあることは否定できません。
ただ、その広がり方を丁寧に見ていくと、
単に和食が人気になった、という説明だけでは捉えきれない側面があるようにも感じられます。
料理のジャンルを超えて使われ始めていること、
そして「omakase」という言葉そのものが、
料理内容以上に体験の形式を指す言葉として受け取られつつある点は、
少し立ち止まって考えてみる価値がありそうです。
なぜ今、omakase(おまかせ)という考え方が、
海外の飲食文化の中で注目されるようになってきたのでしょうか。
この問いを考えるにあたっては、
日本人にとってあまりにも自然に使われている「おまかせ」という選択肢を、
一度言葉として分解してみる必要があります。
なぜ今、omakase(おまかせ)が海外で注目されているのか
海外の飲食シーンで「OMAKASE」という言葉が増えた背景
OMAKASEという言葉自体は、以前から海外の寿司店では見られました。
その意味では、まったく新しい言葉というわけではありません。
ただ、近年感じられる変化は、
この言葉が使われる文脈が少しずつ変わってきている点にあります。
かつては「寿司のコース名」として理解されることが多かったものが、
最近では「どの料理が出てくるかを含めて店に委ねる体験」そのものを指す言葉として
受け取られる場面も増えてきました。
つまり、料理ジャンルそのものよりも、
判断を委ねるという体験のあり方に関心が向けられ始めている、
そう捉えることもできそうです。
和食ブームだけでは説明しきれない点
もちろん、和食人気の影響は大きいでしょう。
寿司や日本料理が注目される中で、
その文脈とともにOMAKASEという言葉が広がった側面はあります。
ただし、それだけで説明しようとすると、
少し無理が生じる場面もあります。
というのも、OMAKASEという言葉が使われる場が、
必ずしも日本料理店に限定されなくなってきているからです。
ここから見えてくるのは、
和食というジャンルそのものよりも、
「どのように体験するか」という構造への関心が、
徐々に共有され始めている可能性です。
選択肢が多すぎる環境と「任せる」ことの価値
現代の消費環境では、
飲食に限らず、選択肢が非常に多くなっています。
メニューの数、価格帯、レビュー、評価軸。
選べること自体は自由のように見えますが、
同時に「どう選べばよいか分からない」という状態を生みやすくもなっています。
そうした状況の中で、
「自分で決めなくてもよい」という体験が、
一つの価値として捉えられ始めているようにも見えます。
omakaseは、
この判断の負担から一時的に距離を取るための選択肢として、
海外でも関心を集め始めているのかもしれません。
日本では自然な「おまかせ」という選択肢
日本人にとって「おまかせ」が特別ではない理由
日本の飲食店では、「おまかせでお願いします」という一言が、
ごく自然に使われています。
料理の内容だけでなく、
酒の種類や味付け、提供の順番まで、
この一言で話が進む場面も珍しくありません。
多くの場合、それは特別な演出というより、
状況に応じた実用的な判断として使われています。
選ばないことが成立する文化的な前提
多くの文化圏では、
注文とは「自分の好みを明確に伝える行為」として理解されています。
そのため、選ばないことは、
無関心や判断放棄と受け取られる可能性もあります。
一方、日本では、
適切な場面で判断を委ねることが、
相手の技術や判断を尊重する態度として受け取られることがあります。
ここには、
- 任せた結果について過度に評価しない
- 想定外の体験も含めて受け入れる
といった暗黙の了解が存在しています。
高尚さよりも、現実的な合理性としてのおまかせ
おまかせは、ときに「粋」や「美学」といった言葉で語られます。
ただ、日常的な使われ方を見ていくと、
もっと現実的な理由が背景にあるように感じられます。
- 自分で考える手間を減らしたい
- 失敗の確率を下げたい
- いつもと違う体験をしてみたい
こうした動機が重なった結果として、
おまかせという選択がなされている場面も多いようです。
選択肢が多い社会ほど、おまかせが合理的になる理由
メニューが増えることで生まれる判断の負担
選択肢が多いことは、一見すると利点のように思えます。
しかし、選ぶ基準が分からない状態では、
その自由が負担として感じられることもあります。
特に飲食の場では、
短時間で判断を求められることが多く、
迷うこと自体がストレスになる場合もあります。
判断を店に委ねることで生まれる安定感
おまかせという選択は、
その場で最も多くの情報を持っている側に判断を委ねる行為とも言えます。
食材の状態、仕入れの事情、調理の流れ。
これらを把握しているのは、基本的には店側です。
その判断に委ねることで、
期待と体験のズレが小さくなり、
結果として満足度が安定しやすくなる、
そうした側面も考えられます。
「最高」を狙うというより「外しにくさ」を選ぶ感覚
おまかせは、常に最高の体験を約束するものではありません。
ただ、大きく外す可能性を下げる選択として機能することはあります。
不確実性が高い環境では、
この「外しにくさ」そのものが価値になる場面もあります。
海外の飲食文化に「おまかせ」は本当になかったのか
――実は存在していた部分的なおまかせ文化
「全部任せる」が成立しにくかった理由
海外の飲食文化では、
料理内容を明確に指定することが一般的です。
アレルギーや宗教的配慮、嗜好の違いなど、
店側が判断を引き受けるリスクが高いため、
「すべて任せる」という形は成立しにくいと考えられてきました。
判断を一部委ねる文化は以前から存在していた
ただ、よく見ていくと、
海外にも判断を委ねる文化がまったく存在しなかったわけではありません。
たとえば、料理に合わせてワインを選ぶ場面では、
ソムリエに判断を任せることが一般的です。
これは、判断の一部を専門家に委ねる行為が、
すでに受け入れられていたことを示しています。
フレンチやバーに見られる限定的なおまかせ
さらに、
- テイスティングメニュー
- シェフズコース
- バーでのサプライズメニュー
といった形式も存在してきました。
これらは、判断の範囲を限定しながら、
体験の構成を店側に委ねる仕組みと見ることができます。
日本のおまかせとの違いは「任せる範囲」
日本のおまかせが特徴的に見えるのは、
判断を委ねる範囲が比較的広い点にあります。
料理内容だけでなく、
流れや量、味付けまで含めて任せることが多い点は、
海外の事例と比べると違いとして浮かび上がります。
寿司屋が起源ではない?おまかせ文化の原型とトリガー
江戸時代の屋台・料理屋文化に見られる「任せる」前提
おまかせという言葉そのものが一般化する以前から、日本の飲食文化には「店に任せる」ことを前提とした構造が見られます。
江戸時代の屋台や料理屋では、そもそも選択肢が多くありませんでした。仕入れは日々変わり、その日に出せる料理は限られていたため、客が細かく指定する余地自体が小さかったとも言えます。
結果として、客は流れに身を委ね、店側はその範囲で最善を尽くす。
こうした関係性が、自然な前提として成立していた可能性があります。
江戸っ子が嫌った「野暮」と過剰な説明
江戸の町人文化では、場の空気を読むことや、余計な説明を求めない態度が好まれたとされます。
細かく注文したり、逐一理由を尋ねたりする行為は、状況によっては「野暮」と受け取られることもあったようです。
この気質は、任せることが無知や無関心ではなく、
「分かっているからこそ言わない」という態度として機能していた、
そう捉えることもできそうです。
寿司という形式が「おまかせ」を分かりやすくした
寿司は、一貫ずつ順番に提供される料理です。
そのため、客は自然と次に何が出てくるかを店側に委ねることになります。
この提供形式が、おまかせという体験を視覚的にも分かりやすいものにしました。
寿司屋は起源というよりも、
「任せる体験」を最も明確に表現した場の一つと考えるほうが近いかもしれません。
江戸の「粋」は、どのように現代のおまかせへつながっていったのか
選べない時代と、あえて選ばない時代
江戸時代は、選択肢が限られていた時代でした。
一方、現代は選択肢が過剰な時代です。
状況は正反対ですが、結果として「選ばない」という行動が、
それぞれの時代で合理性を持っていた点は興味深いところです。
現代におけるおまかせは、
制約の中で生まれた行動というより、
選択過多への対応として現れたものと捉えることもできます。
戦後から高度経済成長期にかけての変化
戦後、日本の外食環境は大きく変わりました。
メニューは増え、価格帯も多様化し、
「自分で選ぶこと」が前提の文化が広がっていきます。
この時期、おまかせは一時的に目立たなくなった選択肢でもありました。
選べること自体が価値とされていたからです。
再び言語化された「おまかせ」という態度
しかし、選択肢が十分に行き渡った後、
再び「選ばない」という態度が意味を持ち始めます。
ここでのおまかせは、
江戸時代の延長というより、
環境の変化に適応する中で再解釈された概念と見ることができそうです。
現代の「おまかせ」は高尚な文化なのか
楽で、納得しやすいという現実的な理由
現代において、おまかせが選ばれる理由は、
必ずしも美学や思想に基づくものとは限りません。
楽であること、
判断の負担が軽くなること、
そして結果に納得しやすいこと。
こうした現実的な理由が、
選択の背景にある場面も多いように感じられます。
新しい体験に触れるための「判断の外注」
おまかせは、「選ばない」というよりも、
判断を一時的に外に預ける行為と捉えることもできます。
自分の過去の選択や好みに縛られず、
店側の視点で組み立てられた体験を受け取ることで、
結果として新鮮さが生まれることもあります。
失敗しても受け入れやすい前提
任せた以上、
ある程度の想定外は織り込まれている。
この前提があるからこそ、
多少好みに合わない部分があっても、
全体として納得しやすくなる場合があります。
新しい店でもおまかせが成立する理由と、注意が必要な場面
信頼のある店と、探索目的の店
信頼関係がすでにある店では、
安心して任せることができます。
一方、初めて訪れる店でも、
おまかせが「探索」の手段として使われることがあります。
どちらの場合も、
目的が明確であれば合理的な選択と言えるかもしれません。
新人スタッフに任せることの難しさ
ただし、おまかせは「店」ではなく、
実際には目の前の人に判断を委ねる注文です。
判断権限のない新人スタッフにとっては、
おまかせが負担になる場面も考えられます。
状況や相手を見て使い分ける必要がありそうです。
「うざい客」になってしまう境界線
任せた後で強い不満を示したり、
細かい評価を繰り返したりすると、
おまかせは単なる丸投げに近づいてしまいます。
結果をある程度引き受ける姿勢があるかどうか。
そこが成立の分かれ目になるようです。
おまかせが問うのは、シェフ個人ではなく店の設計
技術だけでは支えきれない体験
おまかせは、
一人の料理人の腕前だけで完結する体験ではありません。
仕入れ、オペレーション、提供順、
説明の仕方や裁量の範囲。
こうした要素が噛み合って、
はじめて安定した体験になります。
判断の裁量がどこにあるかという問題
誰が、どこまで判断できるのか。
この設計が曖昧な店では、
おまかせが不安定になりやすい傾向があります。
逆に、判断基準が共有されている店では、
属人的になりすぎず、体験が安定しやすくなります。
成立する店と、そうでない店の違い
おまかせが成立している店には、
判断の前提が共有されているという共通点が見られます。
それは必ずしも高級店に限った話ではありません。
設計の問題として考えることができそうです。
海外でomakaseは、どのようにローカライズされていくのか
限定的な範囲から始まる傾向
海外では、
いきなりすべてを任せる形にはなりにくい傾向があります。
まずはワイン、
次にコース構成、
さらに料理内容へと、
判断を委ねる範囲が段階的に広がっていくケースが多く見られます。
信頼型と契約型のあいだに生まれる形
日本の信頼型おまかせと、
海外の契約型おまかせは、
必ずしも対立するものではありません。
価格や内容を明示しつつ、
細部の判断は現場に委ねる。
その中間的な形が、
現実的な落としどころとして選ばれていく可能性もあります。
文化に合わせて変化していく余地
おまかせは、
固定された形式ではありません。
文化、制度、価値観に応じて、
形を変えながら広がっていく余地を持っています。
まとめ|選択過多の時代に生まれた「任せる」という知恵
おまかせは、日本固有の特殊な文化というよりも、
選択肢が過剰になった環境の中で、
多くの人が自然にたどり着いた選択の一つと見ることもできそうです。
日本の「信頼型おまかせ」と、
海外で広がる「契約型おまかせ」は、
それぞれ異なる前提の中で育ってきました。
ただ、両者のあいだには重なり合う部分もあり、
今後は融合する形で展開していく可能性も考えられます。
任せることは、必ずしも怠惰ではありません。
状況を理解したうえで、
最も負担の少ない選択として選ばれている。
そのように捉える余地が、
omakaseという文化には残されているように思われます。
